ジャズはなぜ縁遠い存在か
この文章は完全な私見ですので、何の裏付けもありません。
寝言みたいなものです。
ご注意ください。
正直に言って、ジャズという音楽はあまり身近なものではないように感じます。
なんと言ったらいいでしょう?
、なんとなく人様のものという感じがするんです。
イマイチしっくりこないというか。
周りを見てみても、ジャズが好きでよく聞くという人は全然いないんですよね。
でも、ある程度の歴史もあるし、ジャズというジャンルを全く知らないという人も少ないと思うんですよ。
「ボサノバって何?」とか「デスメタルって何?」という人はいても、「ジャズって何?」って人は少ないと思いませんか?
ボサノバとジャズを同じ土俵で比べていいかという問題もあるんですけど。
何を言いたいかというと、みんなには知られているけど、実態がよく分からない不思議な音楽というのが私のジャズに対する認識ということです。
ああ、そんな音楽もあったよねって感じです。
少なくとも、大衆受けする感じではない。
でも、音楽ジャンルとして勢力を保っているという事は、熱烈なファンがきっとどこかにいるはずなんですよね。
それで無ければ、もっと廃れているはずです。
ジャズという音楽は何でこんなにも大衆受けしないんでしょうか?
私なりに考えて見ました。
歌が無いので縁遠い
まず第一に、「歌がない」という点です。
確かに、ジャズボーカルというものもあるにはありますが、ジャズにとってボーカルは必ず存在しなければならない存在ではありません。
でも、ボーカルがメインでない音楽ははっきり行って一般受けしません。
少なくとも、レコードやCDのように大量配布する媒体で聞こうとする人は少なくなります。
ここでジャズという音楽自体の人気がなくなります。
また、「歌がない」のでジャズという音楽はエンターテイメント(娯楽)というカテゴリーではなくてアート(芸術)というカテゴリーに入れられてしまうのです。
その証拠に、世の芸術大学・音楽大学の中にはジャズ科なるものが存在するところまであります。
そして、アート(芸術)というカテゴリーに入れられてしまうとさらに民衆から敬遠されます。
民衆にとってアート(芸術)というのは遠くから眺めるものであって決して日常的に楽しむものではないからです。
このように、「歌がない」という要素は、音楽を広めようとするときにマイナス要素であると言えるはずです。
学校で勉強しないので縁遠い
第二に、学校でジャズの授業がない、あるいはジャズ楽器の教室がないという点が挙げられます。
先ほど、アート(芸術)というカテゴリーに入れられると一般大衆から敬遠されると書きました。
音楽のジャンルではクラシックがまさにその代表でしょう。
クラシックもアート(芸術)であるので大衆には敬遠される事が多い音楽です。
歌もないですし。
でも、クラシックのファンを探すのは比較的容易です。
少なくともジャズのファンを探すのに比べたらずっと簡単でしょう。
これは、クラシックという音楽が比較的盛んに布教されているからではないでしょうか。
学校ではモーツアルトやベートーベンのことは必ず教えます。
ですから、日本の小学校を卒業した子供は多少なりともクラッシッく音楽に触れた経験を持つわけです。
また、楽器を習おうと思ったら、そのほとんどが最初はクラシックピアノを習うはずです。
クラシックという音楽はアート(芸術)として権威付けられているのです。
権威があるから学校でも習うし習い事にも行かせるわけです。
親公認の音楽なわけです。
強制的に子供に押し付ければ、一定の割合でその音楽を好きになり、聴き続ける人がいるのは当然ではないでしょうか。
しかし、ジャズにはそのような権威がありません。
少なくとも学校でルイ・アームストロングのことは教えませんし、ジャズ・トランペットを習うにはどこに行けばいいか簡単には分かりません。
つまり、アート(芸術)としての権威付けもちょっと弱いわけです。
このように、エンターテイメントとしてもアートとしても今ひとつ弱い立場にいるのがジャズが世間に広まらず、一部の愛好者の音楽になりがちな原因ではないかと勝手に思っています。
真相は分かりませんが。
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